ZENRIN YOUTH

過去記事 for the ‘みおしえ’ のカテゴリー

2011 新春講話

 

 (田口本部長) 

   『求めるより与えよ』 

~何かを求めるより与えなさい。与える人は必ず神より大いなる幸せを与えられるようになっている~

御神尊様が強くお説きになった言葉です。

 求めてそれが満たされることは確かに人間のよろこびです。しかしその多くは、あっという間に消え失せてしまう、うたかたの喜びであって、もし次に求めるものが得られなかった時、よろこびから苦痛の世界へと変わっていきます。

 そういった観点から考えると、“与える”ことによって湧き出てくるよろこびは、その出所が自分自身であるがゆえに、無限無量です。この与える者にのみ、味わうことができるよろこびこそが真実のよろこびであり、信仰のよろこびです。

 人間は生きていく上においていろいろな欲求をもっていて、もっとお金が欲しいとか、もっと綺麗になりたいとか、頭がよくなりたいとか、異性にもてたいとか、もっと出世したい認められたい-などなど、数え上げたらきりがないほどの欲求をもっています。

 その欲望自体が悪ではありません。欲があるからこそ、そこに自己の成長も人生の成功もあります。ただ問題なのは、求めてばかりで与えることを知らない心から不幸が生まれてくるということです。

 例えば、親が夫が妻が、優しくしてくれない、言ったことをしてくれないなどと不満を言う方が少なくありませんが、その前に自分は何を親に夫に妻に与えてあげようかということをまず考えていただきたいのです。

 もし、一方が相手に自分の都合のいい事ばかりを要求して、相手のために自分がしてあげられる事は何かないだろうかと考える気持ちが少しもないとしたら、その人間関係には対立以外は考えられません。両者の間には争いが生まれるだけです。

 御神尊様が“求めるより与えよ”とおっしゃっているのは、信仰の根本をさとして下さっているのです。2011年の初頭にあたり、与える心の大切さを述べましたが、本年も1人でも多くの方が神の子としての自覚をもち、与える愛の実践に生き抜かれることを願ってやみません。

 

 『感情について』

 

教師席 みおしえ  (田口本部長)

〈汝すみやかに変化せよ しからば汝の運命ただちに変化すべし〉というみおしえがあります。これは、あなたが人間的に変わりさえすれば、たちどころにあなたの運命も根本的に変わる-ということを教えているものですが、幸せを願うならば何よりもまず、自分みずからが変わること、すなわち生まれ変わらなければならないという、善隣教義の真髄です。

長年、不幸や病気に苦しんでいらっしゃる方々も、ここ一番という人間的な努力でみずから変化し、生まれ変われば、その精神力の集中によって直ちに幸福を造り出すことができます。今回は、その自己改革、生まれ変わりの方法のひとつとして「感情」ということについてお話しします。

人間にとって感情ほど大切なものはありません。この感情をどのようにコントロールするかによって、運命の大半が決まります。朝起きてから夜寝るまで、1年365日、一生を通じて死ぬまで動き続けているのが人の感情です。それはどのように動いているかというと、何かを目で見た時、あるいは何かを耳で聞いた時、また何かに触れた瞬間、何かを思い出した瞬間の時々に動いています。

気にいるものや気にいらないものを見た時、聞いた時、感じた時に動き出す気持ち。すなわち直観的に感じる、明るい、嬉しい、愉快な気持ちや、それとは逆に、暗い、悲しい、不愉快な気持ち。そういう精神作用を感情と言います。この世には多くの生物が存在していますが、この感情の使い分けができるのは人間だけです。

だからこそ人間は万物の霊長といわれるのですが、その人間感情は極めて不安定なものなので、いったん操作を誤ると人生を悲惨なものにしかねません。幸せをつくる上において、感情の操作はとても重大な問題です。

人間は、物事を奥の奥まで周到緻密に考えなければならないのに、その時の感じだけに支配されて浅く考える場合があるかと思えば、同じことを繰り返し繰り返し、果てしなく執念深く考え続ける場合があります。そういう事の連続で人間は曲がりなりにも生きています。

この感情の動きは生存の基本であり、それがなくては生きていけませんから、あくまで感情を否定することはできません。問題はその感情の動きに、深く考えなければならないことを浅く、単純に考えられることを深く考えてしまうという矛盾があるということです。

もちろん、一人ひとり、その時その場で感情の動きは違いますが、いろいろな出来事に遭遇して、そのことが良いことなのか悪いことなのかを考えなければならない時に、それを逆に行っている場合が多いのです。例えば、怒ったら怒りっぱなしで心の態度を改めようとしない、物事を誤解からゆがんだ受け取り方考え方をする、自分のことばかり気にして人のことはかえりみない。こういった妙な心の使い方、感情の動かし方をしている間は、けっして正しい答えは出てきません。

したがって、人間はこの感情の動きを上手に操作しなければなりません。それは船に舵がある、車にハンドルがついているのと同じものです。船に舵がなければ絶対に目的地に向かって真っ直ぐ進んでいけませんし、車にハンドルがなければ転落するか何かにぶつかるに決まっています。

感情の操作もそれと同じ道理です。自分の気持ちや感じを自分自身でコントロールすることにより、人間としての正しい生き方ができ、幸せの道を真っ直ぐに進んでいけます。それがどうしたものか、人間は感情の制御機能をうまく働かせることができずに道を踏み外し、つまずいたり転んだりします。すなわち、その時、その時の喜怒哀楽に支配され、まるで舵のない船、ハンドルのない車のように、やみくもに突っ走ってしまうのです。

ですから、自分の感情を、教えと信仰心によって上手に操作して下さい。怒りや悲しみなど、家族や人のためにならないような感情を抑え、喜びや感謝など人が明るい気持ちになれるような感情をあふれさせる努力です。それが出来るようになれば、自然と幸福という結果が生まれてくるのです。

人間には、一人残らず幼い子供のようなところがあります。幼稚で思慮分別なく、感情のおもむくままに行動してしまうという一面です。人間の一生というものは、一本の丸木橋を渡るのと変わらないほど危険なものです。滑らないように、落ちないように慎重に歩いていかなければなりません。一瞬の油断でたちまち谷底に落ちて、命を落としてしまうような、非常に危なっかしいのが人生です。

現に立派な大人でありながら、時には分別なく怒りや悲しみに身をまかせ、感情のままに人に接して人を泣かせたり、苦しめたりしたこともあったでしょう。そういう危ないことをやっている自分だということをまず知ることです。

そう考えれば、一分一秒たりとも気を抜くことなく、己の心の使い方に細心の注意を払わなければならないということが分かります。正しい感情の操作を怠らない生き方が、あなたの幸せづくりにとっての絶対条件なのです。

自分の生活を静かに振り返り、気に入らないことがあったら不愉快になる、気に入ることがあったら愉快になる、喜んではしゃぐかと思えば、腹を立てて不機嫌になるなど、感情のおもむくまま、流れにまかせるというような傾向が、少しでもあるとするならば危険信号です。人ばかり批判して、自分だけひとりよがりの都合のいいところにいたのでは、いつまでたっても運命は開拓されません。自己反省をもって感情を正し、感情の操作が速やかにできてこそ、あなたの運命は好転していくのです。

人間の生き方として、「笑おうと笑うまいと、人と話そうと話すまいと自分の勝手だ」というようなわがままな生き方は許されません。心の平穏が保たれてこそ幸せな暮らしができるのであって、悪感情を出せば出すほど苦しむのは、結局自分自身です。ですから、自分の心を使うにしても、自分のため、家族のため、人のためになるような使い方をしなければいけません。

そして、日常生活において、すべての人と円満にやっていけるように努力することです。以上、感情の操作を誤ることなく、人間的に生まれ変わることができたら、その時からあなたは幸福の道を歩むことになっています。すみやかに変化して運命を転換し、素晴らしい幸福を築いていきましょう。

〈感情の操作を怠らざる者には 常に神の守りあり助けあり〉