ZENRIN YOUTH

日々の祈りと実践で生きる力を育む

宇部青年部のぞみ会

<人生は苦悩なり されど一度び道を知らば 憂苦は晴れ光明となる>(御聖経六十六節)

今回ののぞみ会では、御聖経六十六節について、今までの人生の中で、あのときは辛かった、苦しかったと思ったことを語り、それをどう克服し、立ち直っていったかを話し合いました。

青年 どうしたらいいのか分からず、一人悩んで暗く長いトンネルの中を彷徨っていたことがあります。そんなとき、知人が話してくれた言葉に「私はこのように生きていけばいいのだ」とまるで神の声を聞いたかのように、心の中に光が射しました。それからいつも、その言葉を思い出して乗り越えています。

継主様 それは素晴らしいですね。人間関係の坩堝(るつぼ)にはまり込むと、一人で考えても、なかなかそこから抜け出すことができません。しかし、六十六節に示されているように、苦悩が絶えない人生も、善隣の道にすがって乗り越えていけば、いつの日か神のもとへ旅立つ時に、「素晴らしい人生だった」と思えるようになります。

親様 私は自分の苦労はそっちのけで、兄弟のお世話をしてきました。それでも、深く悩まずに何とかやってこられたのは、善隣の道のおかげです。でもその分、主人に苦労をかけたなと思っています。

継主様 六十六節に<人生は苦悩なり>とありますが、生きている間、何かに苦悩するのが人生です。その苦悩があるからこそ、また生きる力が湧いてくるのです。

青年 私は昔、縦隔腫瘍という難病に冒されました。その時はとてもおそろしかったのですが、今思えば、自分が成長する良いきっかけになったと思います。何でも自分の思うようになると思っていて、すべてが中途半端な人間だったからです。

継主様 病気によって自分を成長させていこうという心が自分自身を立て直していったのですね。

青年 信仰するようになって、悩みに押し潰されることが少なくなりました。物事に大きく囚われることがなくなったと思います。

継主様 信仰によって見方や考え方がかわったので、物事を大きく捉えられるようになったのですね。

親様 結婚するまでは、全然苦労はなかったのですが、結婚してからは苦労の連続です。立ち直っては落ち込み、落ち込んでは直り、なかなか成長できません。娘によい縁談もなかなか決まりません。

継主様 すべては一念万映です。より強く神に念じ続けることが大切です。祈りを怠らずに精進すれば、必ず実現します。しかし、同じ事で繰り返し苦悩するのは、あまりにも成長がなさすぎます。常に反省懺悔から改善向上へと高めていってください。

青年 一時は人間関係で悩んだこともありますが、信仰のおかげで、今はそんなに気にならなくなりました。お金や物に対する執着がほとんどなくなり、そうしているうちに、自然と人に対するこだわりがなくなってきました。人間関係で引っかかることがあっても、スルッと抜け出せるようになりました。

継主様 今までは、人を見ては、引っかかっていたのですね。

青年 まじめに考えすぎるので、間違っていることは間違っていると頑として人を責めていました。

継主様 そこが成長したのですね。

青年 はい。言うのは言うけど、その人の立場を考えて柔らかく言えるようになりました。きつく言わず、相手に理解してもらえるように言おうと心がけています。

継主様 人間関係の中で、どうしてもぶつかってしまうのは、言い方に問題があるからです。感情がこもり語気が強くなると、相手に受け止めてもらえないときがあります。どう言えば相手からどう受け止められるのかを考えながら話す経験を積んでいくしかありません。

青年 就職が決まって仕事をしているのですが、とても神経を使いストレスが溜まります。一生懸命にやっているのに、怒られてばかりで、辞めたいと思いながら、もう少しとがんばって勤めています。

継主様 まずは半年、がんばってみてください。人間は揉まれながら磨かれていくのですから、相手への言い方を考えながら、相手とうまくやっていけるようになると思いますよ。どんな苦難に出会っても、それに立ち向かい乗り越える力を培うためには、日々の祈りを大切にし、善隣の道を実践していくしかありません。これからも、しっかり精進されてください。

(善隣誌 2006年3月号より抜粋)

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