回天記念館訪問 – 平和学習会
魚雷発射場跡をバックに記念撮影
6月10日(日)、山口県周南市大津島にある、回天記念館にて、平和学習会を行いました。
回天とは太平洋戦争末期、「天を回らし、戦局を逆転させる」という願いをこめて、戦況が悪化し、窮地に陥った日本が起死回生のために構想された、人間魚雷です。人間魚雷とは、魚雷に大量の爆薬を搭載し、兵士自らが操縦して敵艦に体当たりする特攻兵器です。国のため、愛する人を守るために、多くの若者たちが回天に乗り込み、この大津島の基地から出撃して行きました。
記念館では、この回天がテーマとなった映画「出口のない海」のロケで実際使われた回天の模型や、出撃して行った兵士たちの遺書、兵士が実際に身にまとっていた衣類など、当時のお話もふまえて、私たちは尊い人の命を犠牲にしてしまう、戦争の恐ろしさ、愚かさに触れる事が出来ました。そして回天出撃兵士の慰霊碑の御前では、慰霊の祈りを捧げさせていただきました。
敗戦後、日本は戦争を放棄し、他と共存する平和な道を歩み始めました。しかし世界を見渡せば、まだまだ戦災にあえぐ人たちが大勢おられます。武器を持たない平和な世の中の建設のためには、まず私たちが戦争の愚かさ、平和の尊さを学び、考え、そして一人でも多くの人にお伝えする事、それが私たち善隣信徒の使命である事を再認識させていただきました。
そして今回の平和学習会において、お世話していただいた回天記念館の皆様、本当にありがとうございました。
PHOTO
「地獄の石段」と呼ばれた兵舎への石段跡
人間魚雷「回天」の模型
戦没した回天出撃兵士の遺影
回天出撃兵士の遺書
慰霊の祈りを捧げる青年部員
戦没した回天出撃兵士の名前が刻まれた石碑たち
コメント
家族への手紙が 心に残りました。
自分が生きて帰らないことより、優しいお母さんだから涙を流す姿を思い、胸を傷めた事。
それが当たり前の環境の時代に生まれ家族を守るため、自分の死は覚悟のうえ戦いに挑む姿は今の時代には考えられないことであり、そして今、豊かな時代に人を殺したり、自ら命を落とすニュースが数えきれないほど多くなった今、戦争は絶対いけないのだから、そして人間の本心はみんなと繋がりたいのだから、道を伝えまずは身近な人から、手を差し伸べ、助け合う地道な心使いが、大きな平和と言う輪へと、繋がるんじゃないかなぁと思います。
最後に人間魚雷「回天」と言う名前も初めて聞き、館長さんが言われてました知覧、他に日本の戦争に関わった場所に、足を運び、平和学習で学びたいと思います。
ありがとうございました。(女性)
戦争って何のためにするのでしょうか?
国を守るため?愛する人を守るため?
敵にだって、それぞれの人生があり、愛する家族がいます。
上が決めた「国を守る」という大義名分のために、同じ人間同士が殺戮を繰り広げ、尊い人の命を奪わなくてはなりません。
戦争が終わって、残るのは、悲しみだけです。
本当に戦争って愚かな事だと認識させられました。(男性)
平和学習ではとてもいい学習が出来ました。祖国のために僕と同じくらいの歳の人達が命をかけて戦ったのがホントに凄いと感じました。今日一日で、人間魚雷「回天」やその隊員の事についていろいろ学ぶことができました。あと、戦争は本当にやっちゃいけないと思いました。 (男性)
先日の平和学習会は貴重な体験でした。あの綺麗な海、62年前も変らない自然の中に命を懸けて散って行った青年さんに、こころから哀悼の誠をささげ、二度と戦火の無いようこの体験を伝えます。(男性)
平和学習会の感想は、まず、人間魚雷「回天」の名前についてのことです。’天を回らし、戦局を逆転させる,という願いを込めて。体当たりによる特攻作戦しかないと開発されたということで、私はお国の為に、祖国の為に、そこまでしなければいけないものなのか・・・と思いました。
回天による戦没者は145名なのですが、中には訓練中に亡くなった方もいらっしゃるということ、そして平均年齢は21.1歳とかなり若いことに驚きました。
戦争とは、年齢は関係がなく沢山の方が犠牲になるものだと気付くとともに二度と起こしてはならないものだと改めて思いました。(男性)
人間魚雷の存在は知っていましたが、”回天”という言葉を初めて聞きました。
平和学習にいろんなところに行かせていただきましたが、この”回天”は一番衝撃的でした。なぜなら、「お国のため、家族のために・・・」と死にに行く若い人がたくさんいたこと。そして、そういう気持ちにさせた戦争の恐ろしさを改めて感じました。
戦争は人の生活を奪い、考え方までも奪ってしまう恐ろしいもの、後には何も残らない、そのようなことを決してしてはいけないと強く思いました。(女性)
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